ことのはのぉと

いつかあなたの隠れ宿

どんな道でも道は道

心臓が苦しいほど跳ねまわる。

お腹の底には泥にも似たもやもやがうずめいて、気持ち悪くて何故だかくすぐったい。

 

 

 

 

大きな大きな深呼吸を、何度も繰り返す。

鼓動はまだおとなしくなる様子がない。

 

 

 

 

 

 

ああ、そうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒っているんだな、私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地元の幼稚園に通いました。

優しい両親に囲まれて、お友達も好きな人も沢山できました。大好きなおともだちと遊ぶことも、母が毎日両手に提げた袋いっぱいに借りてきてくれる図書館の本を読むのも、大好きな子供でした。

好きになれなかったのは絵本の類。だって、絵ばかりで文字が少ないから。

活字であれば牛乳パックの説明書きでもドレッシングの成分表示でも、飽きずにずっと読んでいられる子供でした。

 

 

小学校からは母方の祖父母が住む町で暮らしました。

一族何世代にもわたって通うことが当たり前にあった、いわゆる地元の私立校。途中いじめられていた年もあったけど、概ね楽しい六年間。

特に好きだったのは図書室を管理していた先生。透き通るような白い肌に端正でどこか薄い顔立ち、陽だまりに落ちた影を揺らすみたいな儚い声。入学してから卒業のその日まで、ついぞ容姿に変化がなかった不思議なひと。つい最近見かけたときも遠い子供時代のままの姿をしていましたっけ。

あの図書室は時間の流れが不思議と遅かったので、そういうことも起こりうるのかもしれないと、不思議と納得できました。

 

 

 

中学、高校は6年間同じ女子校。

とある漫画のモデルにもなった、時代が時代であれば良妻賢母を育てるためと謳われる規律厳しい中高一貫のお嬢様学校。まあ実際の女子校は、到底そんな一昔前の修道院みたいではありませんでしたが。

昔から文章を書くのが好きだったから、同学年で他に誰も入る人のいなかった文芸部に入って。最初の一年はやっぱり孤立していたこともあったけれど、終わる頃には多くの友達に恵まれました。忘れられない初恋を味わったのも、その頃のこと。青春の大部分を過ごした、間違いなく自我の下地を育ててくれた6年間です。

 

 

大学は芸術系を掲げる学部に入学。文章で身を立てたい夢見がちな若者たちの中に身を置いて、四年。

これと言った文学賞に引っかかることはなかったけれど、かけがえのない友達と強烈な恩師に出会いました。卒業制作はとある超有名文学作品のオマージュ小説でしたっけ。

 

 

地元の市役所職員を目指していた就職活動は最終面接であっさり落ちて、他にもなにひとつひっかからず、一年半の調理師専門学校通い。

卒業と同時に今の職場の募集を見つけて、アルバイトから就職されて現在扱いはパート、一年目がようやくすぎたとこ。あっ、年齢が分かってしまう。

 

 

今の職場ですか?

とある霊園に勤めています。

主な業務は事務処理と受付、意識としては接客業に近いです。

 

 

 

 

母方の祖父母と父方の祖父は既に他界しましたが、両親、兄、父方の祖母とも仲は良好。都合により実家を出たあとも、ひと月からふた月に1回のペースで帰る程度には両親を大事に思っています。大切に育てられた自覚?もちろんありますとも。

 

 

 

私、平凡だと思いますか?

 

 

 

なんかちょっと待てやと思った人もいそうなので言っておきますと。

私の初恋は同級生の女の子です。

 

憧れた男の子も、胸ときめかせる男性との出会いもそれなりにありましたが、強い情念を抱いたのも女子なら初めて明確な劣情を抱いたのも女性です。

それがなんだというのでしょう。

 

ああ、職場? 市役所業務とたぶんほとんど変わりませんよ。担当している住人が生きているか死んでいるかの違いくらいなものでしょう。我ながらすっごい暴論ですが

就職活動失敗して調理師専門学校に通った件についてはここでは割愛させていただきます。ちょっとめんどくさい長くなるので

 

 

 

閑話休題

 

 

 

 

 

平凡な人生、そう思うのはおおいに結構。私だって自分の人生平凡だと思いますよ。いやそんなことないだろう特に後半、なんて思う人もいてくれるでしょうか。

 

 

でもだって、平凡ってつまり、あたりまえってことでしょう?

 

 

 

 

それならば私の人生は平々凡々、一篇の物語にすらならないような人生です。

 

 

 

 

 

たとえば世界的に有名なスケート選手だとか将棋の名手だとかそういう人たちの方が、客観的には山あり谷ありの人生を送っているんじゃないでしょうかねえ。

 

 

 

まあその人たちも口をそろえて言うでしょうけれど

 

 

 

「わたしは至って平凡な人生を送っていますよ」

 

 

 

 

 

だってそれがあたりまえだから。

もちろん平凡=あたりまえ、と定義したらの話ですが。

 

 

 

 

 

地元の小学校に通うことは、活字が大好きな子供であったことは、毎日スケートの、将棋の練習に明け暮れることは。全部、全部、当然で、あたりまえの日常のこと。

同性を好きだろうと、異性を好きだろうと、そもそも誰を好きになることもなかろうと、そんなことはあたりまえなんですよ。たとえ世間が否定したとしても。

 

 

 

 

客観的な話なんていくらしたって不毛もいいところでしょう。

 

突き詰めて考えてみれば、あなたも私も彼も彼女もお父さんもお母さんも道歩いてるスーツ姿の田中(仮)さんも自転車で横を走り抜けていったひろし(仮)もみいんな平凡で、みんなその人だけの人生を抱えて生きているんですから。ひろしって誰よ

 

 

 

それにしても人生って、人が生きるってたった二文字なのにずいぶんと重くて暴力的な色が含まれていますね。生きているのが人だからかな。だとしたら人が重くて暴力的なのか、生きているのが重くて暴力的なのか。それともどちらもそうなのか。

 

 

 

また話が逸れましたね。

 

 

 

 

 

 

自分の生きた道を平坦な人生と評しようと、誰かの生きた道を山あり谷ありの人生だと判断しようと、それは個人の自由です。そこには別に怒りもなにもないんですけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

けど、けどね。

ないものねだりはやっぱり腹が立つなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だって平坦だというあなたのその人生、本当に面白いものはなにひとつ埋まっていなかったんですか? そんなに少ない数しかなかったんですか? 本当に?

 

すべてにイエスと答えるのならそれはそれでいいけれど。だったら旅をしたら、会社をやめたら、夜の街で仕事を求めたら、あなたの求める面白いものに出会えるかもなんてまさか本気で思っているんでしょうか。

しかし夜職が普通を外れてるってなにそれ偏見か?

 

 

それに同性を好きになったことが、平坦な人生の中たったひとつ現れた普通でないことだなんて、よくもまあ言えたよなあと思うけれど。

生きてりゃ誰を好きになったって大事件だし、そこに性別の違いなんてありませんよ。たぶん種族の違いすらも。

 

 

 

 

 

 

 

でも、それもまたひとつの考え方です。腹は立つけど否定する気はありません。

もう一度言いますよ、否定する気は毛頭ありません(腹は立つけどね)

 

 

 

 

と、いうわけで改めて問いかけてみましょうか。

 

 

 

 

あなた、本当に平凡ですか?

 

 

 

 

 

まあなによりも腹が立つのは、こうして勢いに任せて1本書き上げてしまうほどに感情を揺さぶられた、彼女の文才なのですけれども。

 

勝手ながらこちらのアンサーソングとして、書かせていただきました。

↓↓↓↓

 

maynom.hatenadiary.jp

 

 

 

同じ事書いてますが微妙に違う。最後に余談を付け加えたnote版です。よろしければ

 

https://note.com/yuzukichi_/n/n551908e54c60